球磨川流域の持続的発展のための流域治水に関する提言
「早く流す治水から ゆっくり流す治水へ」
令和2年7月13日
九州大学工学研究院 教授 島谷幸宏
10名の河川研究者
提言の趣旨
私たちは、新しい時代の治水対策を実現するために、流域治水、多自然川づくり、Eco-DRR(Ecosystem Based Disaster Risk Reduction:生態系に基づいた防災)、創造的復興、地域循環共生圏などについて研究や実践を行い、議論を重ねてきました。
今般の甚大な球磨川の災害に対して、流域全体を対象とした新しい治水対策により水害からの被害を大幅に軽減することが可能との基本認識のもと、球磨川における流域治水の基本的な考え方といくつかの手法について提言を行うものです。
この提言は気候変動下の新しい時代に対応する、ゆっくり水を流し、住み方を工夫し、よりよい環境の実現を基本とした、新しい考えに基づく流域治水についての提言です。
流域全体の保水・貯水能力を高め、ゆっくりと水を流すことにより、洪水のピーク流量を低減させる流域治水は、洪水を防ぐための極めてシンプルな原則的な方策です。しかし、大河川を対象に本格的に検討された事例はありません。
これまでの治水は洪水流量は与件のものとして扱い、河道やダムを中心とした川づくりが実施されてきました。また、流域においても雨水を早く排除する中小河川改修や圃場整備が脈々と行われてきました。その結果、山林、農地、住宅地の雨水は速やかに排水され、リスクを大河川や下流域に転嫁する事態が生じています。
この提言では、流域での雨水の負担のバランスを整えるために、ピーク流量までの時間を長くし、ピーク流量を低減する現実的な方法を示します。ピーク流量を低減することにより、治水対策は格段に自由度が増します。
また、都市域の防御は都市の文化や文脈を継承し、さらに発展させることを基本とし、グリーンインフラの手法を採用します。この手法は、ハリケーン「サンディ」後の災害対策としてニューヨークで実施中のBigUで代表されるもので、有機的なバリアを風景に組み込む手法です。
ここでの提言は概念的なものであり、この案を実行するためには、精緻な現地調査、詳細なモデル構築、景観デザインの本格的検討、地元との共創が必要であると考えております。
2020年水害に対する基本的な認識
球磨川は上流域の盆地、川辺川流域、山間渓谷部、下流の八代平野に大別され、今回の災害は上流域の球磨盆地流域、山間渓谷部流域に降った大量の雨水が短時間に河川に集中し盆地下流および山間渓谷部で甚大な被害をもたらした。川辺川流域の降雨が今回の氾濫にどの程度の影響をもたらしたのかは、詳細な検討が必要であるが、雨量分布から見ると、それほど大きな影響を及ぼしていない可能性がある。
球磨川は山間渓谷部の河道が狭く、その区間での水位上昇は特に顕著で、その影響は盆地下流部に及びそれぞれ甚大な被害をもたらしている。人吉市中心部は無堤地区が多く、川沿いの相対標高が低い地区が甚大な被害を受けている。盆地の中上流部での氾濫は限定的で被害はそれほど多くない。見方を変えれば、洪水は盆地の中・上流部をスルーし、盆地下流に洪水流が集中したと考えることが出来る。昭和40年洪水と比べると明らかに盆地中上流域での浸水が減っている。
基本的な原理
・洪水到達時間を延長することによるピーク流量の低減
図 2 洪水到達時間と洪水流量との関係概念図
上図は洪水流出の波形を示したものです。上図の実線と点線で面積は同じ、すなわち洪水総流出量は同じである。洪水の到達時間が長くなるとピーク流量は減少することがわかる。これは、電車通勤で時差出勤をすると混雑度が減るのと同じ理屈である。
このような効果をtiming effectと呼んでいる。今回提言する治水対策の肝は洪水到達時間を長くすることである。それによってピーク流量を低減させる。球磨川では球磨盆地内の本流、支流、水田、山地の水路等の整備により流出が早くなっていると思われる。そこで、それぞれの場所で3割程度到達時間を長くすることを目標とする。それにより、ピーク流量を2-3割程度減少させ、川辺川とのピークの重なりを防ぎ、かつ避難の時間も稼ぎ、洪水を軽減する。
なお、到達時間を減少させる方法の中には、局所的に治水安全度を下げる可能性もあるが、危険性が増大しない対策を実施することで対応可能と考えている。
・都市や地域の魅力を損なわない
球磨川、川辺川の清流、美しい渓谷、青い阿蘇神社や城跡としての歴史的な環境、温泉などはこの地域を代表する地域資源であり、その地域資源を活用することにより地域の持続的発展が後押しされる。治水対策によりこれらの魅力が損なわれてはならないと考えている。治水対策を進めることによって、地域資源の魅力が却って強化される治水対策とすることが基本的な考え方である。
・土地利用のコントロール
危険場所への重要施設の立地の制限、より安全な場所への移転の支援などについて、いろいろな場所から提案されているが、この提言においても基本的な考え方と認識している。
対策メニュー
・本流上流部(球磨盆地中上流部)の河道対策による低流速化
球磨川中上流部の河道は低下し、今回の洪水でも川幅全体が活用された流下になっておらず、流速が早くなっている。本流自体の流速を遅くすることにより、洪水到達時間を20分程度、遅くすることが可能と考えている。
具体的な対策としては、瀬の復活による流れの拡散(澪筋の平坦化)、水没していない高水敷の切り下げと湿地化等を行う。
・本流上流部(球磨盆地中上流部)の川幅拡幅による低流速化
川幅が狭い区間においては川幅を確保し、上記対策後の河道に近づける
・支流の低流速化
河道内への粗度付加(護岸の玉石化、巨石の投入)、遊水空間の確保、蛇行再生などの方法により支流の低流速化を行う。
遊水空間の確保としては、周辺水田の湿地化、遊水池としての整備などが考えられる。
・農地の保水力の強化と農業用水路の低流速化
農地にも一定の治水能力を担保してもらうことが重要であり、排水系統を精査し、水田面への貯留量の強化、水田面からの排出水量のコントロール、農業用排水路の低流速化などの対策を行う
・山地排水路の低流速化
山地内の排水路への粗度付加、山地渓流河川の護岸の玉石化、巨石の投入、衝突によるエネルギー減衰、瀬淵構造の復元などを行い山地からの流出速度を低減させる。
・合流地点および合流地点に近い水田の遊水池化
本流との合流点付近は極力遊水池化させ居住地化を防ぐ。
また市内中心部付近に合流する支流沿いの水田は極力遊水池化し、市街中心部への洪水の集中を極力抑制する。
・樹林帯の活用
氾濫時の流速を低減させるために、まとまった樹林帯を導入する。樹林帯導入により相当の流速の低減が可能となる。
・市街地右岸側への丘陵堤の可能性
上記対策によりどの程度の市街地対策が必要となるかは不明であるが、青井阿蘇神社南側の旧河道跡など低い場所が存在し、被害を増大させているため、都市構造として市街地低地のかさ上げなど、右岸沿いの一連の丘陵堤化はメニューとしては考え得る。
その他
上記対策を実施し、それでもなお洪水対策が実現できない場合には、ダムを排除するものではない。川辺川に関しては、貯留型のダムは環境への影響が大きく現実的ではない。流水型のダムを用いる場合においては、貯留型ダムよりも治水効果は小さく、かつ、環境に対して影響は小さいとはいえ環境に対する十分な配慮が必須であると認識している。
*この提言は熊本県知事に送付させていただいたものです。